祖母の四十九日法要を終えて
去る5月1日、祖母の四十九日法要が終わった。
ついこないだ、私の祖母は100歳で健在だなんて書いたばかりなのに。
亡くなった祖母の最期の想いは知る由も無いけど、介護していた母と伯母と叔父は懸命にやり抜いたからか、悔いはなさそうだった。
お通夜、葬儀、四十九日と死を悼みつつも、100歳という大往生だったため、場は和やかであやかりたいという雰囲気だった。
私の母は産後1ヶ月で職場復帰したらしく、私はよく祖母に預けられていた。
私も祖母も巳年で蠍座。
顔は全然似ていないけど、性格がそっくりだと、よく親戚のおじさんおばさんに言われたな。
町一番のけん玉使いだったと、祖母はよくお手本を見せてくれた。
コツは膝を上手に使うことだと教えてくれたけど、祖母のようにテンポ良くとはいかなかった。
戦後、女手ひとつで0歳・2歳・5歳を育てた祖母。
祖父が遺したヘソクリは、ハブに咬まれて当時高価だった血清代に消えたそう。
米軍将校のメイドをして、全員大学まで行かせたとか、どこまで話を盛っているかは分からないけど、祖母の話はいつも臨場感あふれていて面白かった。
戦争で亡くなった祖父のことがずっと大好きで、墓参りに行くときは必ずオシャレして、美容室で髪もセットしてもらっていた。
おじいちゃんがどこかで見てるかもしれないから!
と嬉しそうに言うのよね。
そんな祖母を母たちは嬉しそうに冷やかしていたなあ。
朝は必ずコーヒーにポークとスクランブルエッグとトースト。
お肉が大好きでしいたけが嫌い。
夜寝るのも朝起きるのも遅い。
週に数回は老人会に踊りに行って。
私には絶対に飲ませてくれなかったコーラを、やっぱりこれが無いとダメねー!と毎日グビグビ。
骨が溶けるんじゃなかったの?と訊いたら、年寄りにはこれが刺激になって良いのよー、だって。
ヨン様ファンになって、でも自分で買うのは恥ずかしい、と冬のソナタのカレンダーとヨン様マフラーを買いに行かされた事もあった!
おじいちゃん一筋だったのでは?
私の夫を紹介した時も、私の旦那にソックリー!と気に入っていた。
90歳過ぎても、最近お肌の調子が…と困って見せては周囲を笑わせていた。
とにかく生きる力がみなぎっている人だった。
私が若いときはぶつかってばかりだったけど、今思い出すのは可愛らしい祖母の姿ばかり。
母たちが懸命に介護する姿を見てきた。
入院してからは毎日お見舞いに行っていた。
動かない祖母の手を、母が優しくマッサージしたり、母が耳元で歌を歌うと祖母が顔をクシャクシャにして喜んだりするのを見た。
枯れた樹木みたいになっていて、半分はもうそこにいないような感じがしたけれど、それでも生を全うしようとする姿に、私は立ち尽くしてしまった。
私はこんな風にきれいに、母の最期を支えてあげることはできるのだろうか。
私自身は日々枯れてゆく自らの生命ときちんと向き合うことはできるんだろうか。
というような事をぼんやり思った。
来年も家でゆっくり、掃除をしたり本を読んだり映画を観たりして過ごしたい。
夜に書くと文章が大げさになってしまうなー。