世紀末の先にあるもの
ただの個人的回顧と近況や雑感など。
ブーン!
すごくダラダラとした散漫な文章なので、暇つぶしでお読みいただけたらと思います。
6月の頭に東京出張に行った。
ちょっと予定を詰めすぎたものの、実りある3日間だった。
週末ということもあり、地下鉄での移動が混雑も少なく、電車までの距離感近く快適だった。
帰りの飛行機では綺麗に富士山が見えたし、よき締めくくり。
毎年6月って気力体力共に落ちてどんよりしているんだけど、今年はいいぞいいぞ!と家事に育児に仕事にとモリモリ欲張って動いていたら、何かがパーンと弾けてダウンしてしまった。
加減を知りたい。
家では夫、仕事ではスタッフにカバーしてもらいながら、3歳娘の世話だけはどうにか、手を抜きながらヒイヒイとゾンビ状態でこなした。なぜ、こういう時だけママじゃないとイヤ病を発症してしまうのか。
家事にしても、仕事にしても、私の分まできっちりやってほしいのではなく、家の中が散らかっていてもスルーしてくれたり、夕飯が惣菜でも文句を言わないでくれればそれでいい。
美味しいもの食べたり、楽しいことはしたいけど、家事や仕事は全然したくない。そんな状況が続いて、我ながらなんだこいつ…としんどかった。
夫とスタッフのスルーとサポートのおかげでどうにか復活!
私は根っからの怠け者だと自覚したので、全てにおいて適当に、楽しいことを最優先にして、ダラダラと生きていこうと思う。
今月は1度もブログを更新していなかったので、ギリギリで滑り込みたい。
東京から帰ってきて少しした頃に、オウム真理教の教祖の死刑反対論者に対する江川紹子さんの記事を読んだ。
とても良い記事だったような気がするけど、見当たらない。
私は地下鉄サリン事件の当日、修学旅行で東京にいた。
事件当日が本当は自由行動の日だったけど、旅行社の都合でその前日が自由行動の日で、当日は団体行動の日となった。
地下鉄東西線を乗り換えて千代田線で下北沢に向かった記憶がある。
事件当日は東京ドームや国会議事堂などを見学した。
同行していた校長が生徒全員を集合させて、神妙な顔で何か話していた。
校長の話など聞かずヘラヘラしている私達に、怒声が降ってきた。
教員一同ヒステリックで、泣いている人もいた。
その時は何が起きたのか分からず、なに激高してるんだかーと冷ややかな気持ちだった。
そのあとに事の重大さを知り、震えた。
今思い返すと、あの頃の私には受け止めきれていなかったとわかる。
その2ヶ月前には阪神淡路大震災があった。
姉が神戸に進学していて、両親がその姉のところに滞在中だという友人を励まし続けた。連絡が取れないとパニックになる友人を、みんなで励ました。
大きな事件や事故、天災などが起きると、直接の被害を受けていなくても不安感や哀悼の想い等で疲弊していく。当事者でなくともこんなに苦しいのに、その渦の中にいて犠牲になった方々やその身近な方々の苦しみたるや。
私がある程度の年齢を重ねたせいもあるだろうけど、90年代当時の世紀末への人々が抱える不安感ってものすごかったように思う。
私が小さい頃に、一番怖かったのは妖怪小豆洗いだった。
小豆洗いに遭遇したらどうしようと考えたら夜も眠れなかった。
母に泣きつくと、いつも母は笑って、小豆洗いなんかいない!ときっぱり言い切った。それでも食い下がる私に対して、その時はお母さんがやっつけるから大丈夫と言った。
今考えたら、母も面倒臭かっただろうに、毎回そうやって対応してくれた。
母が笑い飛ばしてくれるから、大丈夫だと思えた。
中学生の頃、湾岸戦争が始まった。
クラスの女の子が、戦争が始まったらどうしよう。怖い。と怯えていた。
基地のある沖縄だと割と身近な恐怖でもあった。
それでも私は、絶対に大丈夫だと笑い飛ばした。何の根拠もなかったけど。
ノストラダムスの予言が怖い、と二十歳過ぎて震えている男友達がいたので笑い飛ばした。
彼は、映画「タイタニック」を観て、ディカプリオ演じるジャックがタイタニック号の乗船チケットを手に入れるシーンで号泣する男だ。感情が豊かすぎるんだ。
笑う私に、彼は「その時がきても知らないからな!」と言い捨てた。
彼には、不安感を笑い飛ばす方法は効かなかった。
親戚のおじさんに読んでごらんと薦められた本は、日本とイラクだけが世紀末を乗り越えることができるという予言の本だった。
このおじさんはその前は熱心なキリスト教信者で、その時はノアの方舟の話をよくしていた。
プロのギタリストでかっこよかったのに、こんなにも不安を抱えて救済を求めているのかと、驚くのと切ないのが混ざった。
そのおじさんはギタリストは廃業して、健康食品の訪問販売をしているらしい。
もう20年は会っていない。
ゴリゴリのハードな歌を歌う人とランチをしていたら、北朝鮮が怖いと嘆いていた。ノストラダムスの予言って、こいつが引き起こすんじゃないかって嘆いて、カレーを食べた。
90年代の世紀末への不安感だったのか、あの退廃的な、投げやりなムード。
その世紀末の先を今生きているんだけど、もう笑い飛ばすんじゃなくて受け止めながら、その上で笑って生きたい。
あと、ダラダラしたい。