あら、素敵なおばさま

家族で近所を歩いていると、道路を挟んで向こう側の道を、背筋のシャンとした70代くらいの女性が歩いているのが見えた。

あら、素敵なおばさまだなあ。と思って見ていると、それは私の母だった。

自分の母親とは知らず、目で追っていた事が少し恥ずかしいような、誇らしいような変な気分だった。

変な気分をそのまんま書いて申し訳ない。

 

このブログのカテゴリーに「素敵先輩」を加えようと思う。

2037年に向けて、素敵な還暦を迎えるために、様々な素敵な先輩から素敵に学ぼうというわけだ。

カテゴリー名「素敵先輩」は何のひねりもなく、センスも感じられないかもしれない。

また何かひらめいたらしれっと変更するか、得意げに発表するか。どちらかだと思うので、その時はよろしくお願いします。

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写真は先日の大阪出張の帰りの飛行機です。

すごく揺れて、おおお、何だか分からないけどロゴもブレブレに見えるほどの揺れだーーーー!と心の中で怯えていたんだけど、着陸して撮影したらもともとこういうロゴなんだよロールスロイス

という気持ちのおすそ分け。隣の方の手を握らなくて本当に良かった。

ちなみに大阪では資格の認定試験を受けてました。

合格したらドヤさして、不合格だったらスルーします。

脈絡なさすぎの話入れてしまってすみません。

 

「素敵先輩」の第1回が母というのも何だかアレだけど、生まれて最初に出会う人生の先輩だしいいかなー。

私はずっと母が大好きで、結婚して子供ができてもベッタリなんだろうなあと思っていた。

でも実際は、母は75歳の現在も父と自営業を続けていて、趣味の水泳と店番の居眠りが忙しいので、ほどよい距離感を保てている。

家事も育児も家計も、夫婦で協力しながらどうにかこうにか。

母は買い物したいしたい病なので、そういう時に孫(私の娘)の服をドサ買いしたり、食料を大量に差し入れしてくれたり。

ありがたかったり、迷惑だったりしながらも、元気で笑顔で会いに来てくれるのは、やはり幸せな事だなあと感じる。

妊娠してから産後1年くらいは、色々考える事が多く、母にあんな事やこんな事して欲しかったのにしてもらえなかった…という気持ちになることも少なくなかった。

アレはなんだったんだろう。

 

私の母は世間一般で言うところの「理想の母親」とはかけ離れている。

料理は下手、掃除片付けもできない(家はいつも散らかっていた)、いつも仕事ばっかりで、休みの日は叔母や祖母に預けられていた。

バイトをして初めての給料で母に小さなダイヤのペンダントをプレゼントしたら、「こんな貧相なペンダント恥ずかしくてできないから、いらないわー。」と笑って言われたこともある。

それでも、私が高校生の頃は毎日弁当を作ってくれた。

なぜか毎日うなぎとイチゴが入っていた。

私は毎日それを1時限目が始まる前には食べ終えていた。

私は髪をモヒカンにしたり角刈りにしたり、目の周りを黒く塗って頭に包帯巻いて血糊メイクをしたりというちょっぴり尖ったファッションを好んだので、あまり一緒に出歩かなかったな。

私は私で激しくて、扱いづらくて育てるのも苦労をかけたと思う。かけすぎた。

あの時は大変だったーって笑って話すけど、育ててあげたから感謝しろ的な事は1度も言われたことがない。

私も娘に感謝を強要したりしないぞ!と誓う2018年。

  

子供の頃のような無邪気な「ママ大好きー!」という感情ではないけど、それでもまだ私は母が好きだ。

いつも朗らかで、健康で、未だにファッション通信が大好きで、もうおばあちゃんだけど人生を楽しんでいる。

年を取るのも悪くないって思わせてくれる。

一昨年交通事故に遭い、靭帯をやられてしまった。

寝込んで一気に老け込むんじゃないかと心配したけど、全くの杞憂だった。

リハビリに足繁く通い、杖をつきながらも毎日元気に歩き回る。

今は杖も必要なくなった。

そういえば、母が寝込んでいるのを1度も見た事がない。

 

ちなみに、私の祖母(母の母)は私と同じ巳年蠍座、100歳。

施設に入ってはいるものの、健在です。

母は3兄弟で、毎日交代で誰かがお見舞いに行っている。

祖母の話をするときはいつもどこか嬉しそうだ。

母も祖母の事が大好きなんだろう。

祖母の鉄板ギャグは「最近シワが増えた。」というやつ。

 

ちなみに、なぜか私は夫にすごく母性を感じる。

たまにお母さんと呼びたくなるくらいだ。

呼ばせてくれないけど。

 

ちなみに、父のことも大好きです。

 

というわけで、背筋を伸ばして歩きたいと思います。